一本の線の向こう側


昨日、野茂英雄が引退を表明した。95年日本人メジャーリーガーのパイオニアとして渡米、トルネード旋風を巻き起こし、ノモマニアを生み、ロスを熱狂させ、ストライキの影響で低迷するMLBを救った。野茂の活躍により佐々木、長谷川、イチロー、新庄、松井(秀)、松井(稼)・・・と多くのプレーヤーが続いた。

野茂のドジャースへの移籍は、閉鎖的な日本球界のタブーに挑み、半ば強引な移籍だったので、メディアは非難を浴びせた。バッファローズのエースだった野茂は、当時ミズノ製のグローブを使用していた。グローブには金刺繍のロゴがこれ見よがしに光っていた。当然・名工の坪田信義氏の手作りでいうことは言うまでもない。

野茂はそれまでの栄光を、日本に置いて海を渡った。

キャンプに現れた野茂のグローブに一部のファンは驚いた(多分自分だけでは無かったと思う)。メーカーのロゴが外されていたのだ。予想の範疇を出ないが、ミズノは野茂を支持できない理由があった。野茂の移籍が球界に与えたインパクトは大きかった。

http://www.panoramio.com/photo/12213808

ロスを見下ろす丘をくり抜いて作ったドジャーススタジアム。丘の頂上のゲートを入ると、そのまま内野席の最上段のトップデッキに出る。ゲームがない日でも、スーベニアショップがあるこのフロアーには出入りができる。

ある日、チケット購入のついでに、トップデッキから「野茂よ、有り難う!」と叫んだこともある。「求め続ければ、扉は開かれ夢は叶う」、がむしゃらに夢を追いかける野茂には、結構勇気付けられた。あの日の出来事は、昨日のことのように覚えている。

背番号16を付けた米粒のように小さな野茂を応援したこともある。放出された後、10番を付けてドジャースに復帰した時には石井が同僚だった。今年はロイヤルズでメジャーに挑戦していたが・・・。

野茂さん、ご苦労様。そして有り難う!

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